日蓮正宗 昭倫寺


法華題目抄 春季総登山会の砌

 平成31年3月31日 於 総本山客殿

「さればこの経の題目をとな(唱)えさせ給はんにはをぼ(思)しめすべし。生盲の始めて眼あ(開)きて父母等をみ(見)んよりもうれしく、強(こわ)きかたき(敵)にと(捕)られたる者のゆる(赦)されて妻子を見るよりもめづらしとをぼすべし」とあります。

つまり、この妙法蓮華経の題目を唱えることについては、次のように思いなさいと言って、「生盲の始めて眼あきて父母等をみんよりもうれしく、強きかたきにとられたる者のゆるされて妻子を見るよりもめづらしとをぼすべし」、目の悪い方が、初めて目が開(あ)いて自分の父や母を見るよりも、なおうれしいことであり、また、敵に捕まって牢獄に入れられた者が、赦(ゆる)されて妻子に再会することができたことよりも、今日、法華経の題目に巡り値うことができたことは、まことにもって珍しいことであるとおっしゃっているのであります。

思うに、私達は値い難き大聖人様の仏法に値い奉った、この身の福徳を心から感じなければなりません。
値い難き大聖人様の仏法に値うことは宿縁深厚のいたすところで、心からその因縁に感謝しなければなりません。
そしてまた、私達がこの信心に出値えたのは、やはり紹介された方がいたからであります。
これを思う時に、今度は私達が紹介する側、つまり折伏する側に立って、一人でも多くの方々を折伏することが、いかに尊いかを知らなければなりません。

されば、この値い難き仏法に巡り値えた因縁に心から感謝するとともに、文字通り、いまだ御本仏大聖人様の仏法に巡り値えない多くの人々に大聖人様の仏法を説き、下種結縁して折伏を行じていくことが、いかに尊いか、いかに功徳があるかを、私達は知らなければなりません。

折伏というのは、それほど尊いことであり、すばらしいことであります。
自分の罪障を消滅するばかりでなく、相手の罪障を消滅し、即身成仏に導くことができるのが折伏であります。

特に今、宗門は、来たるべき宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年を期して、法華講員八十万人体勢構築へ向かって、挙宗一致して前進をしております。

我々一人ひとりが地涌の菩薩の眷属として、誓願達成へ向け、全力を傾注して折伏を行じることは、まことに尊いことであります。
この折伏を行ずることの尊さを、皆さん方は一人ひとり、しっかりと胸に刻んで、これからの戦いに臨んでいただきたいと思います。

(大白法・令和元年5月1日号より抜粋)

(令和元年7月掲載)