私達が妙法広布に挺身していけば、魔も競い起こって私達の信心を妨害してきます。 しかし、大聖人様は『兄弟抄』に、 「此の法門を申すには必ず魔出来(しゅったい)すべし。魔競(きそ)はずば正法と知るべからず。第五の巻に云はく『行解(ぎょうげ)既に勤めぬれば三障四魔紛然(ふんぜん)として競ひ起こる、乃至随(したが)ふべからず畏(おそ)るべからず。之(これ)に随へば将(まさ)に人をして悪道に向かはしむ、之を畏れば正法を修することを妨(さまた)ぐ』等云云。此の釈は日蓮が身に当たるのみならず、門家の明鏡なり。謹んで習ひ伝へて未来の資糧とせよ」(御書 九八六頁) と仰せであります。 すなわち、いかなる魔が競い起きようが、魔は仏様には絶対に勝てないのでありますから、私どもは強盛(ごうじょう)に妙法信受の一念を貫き、毅然(きぜん)として自行化他の信心に住していけば、魔は必ず退散し、勝利を勝ち取ることができるのであります。 (大白法・令和5年8月16日号 掲載) (令和5年11月掲載) |