『南条兵衛(ひょうえ)七郎殿御書』を拝しますと、 「いかなる大善をつくり、法華経を千万部書写し、一念三千の観道を得たる人なりとも、法華経のかたき(敵)をだにもせ(責)めざれば得道ありがたし。 たとへば朝(ちょう)につか(仕)ふる人の十年二十年の奉公あれども、君の敵をし(知)りながら奏(そう)しもせず、私にもあだ(怨)まずば、奉公皆う(失)せて還(かえ)ってとが(咎)に行なはれんが如し。 当世の人々は謗法の者とし(知)ろしめすべし」(御書 三二二頁) と仰せであります。 この御文は、文永元(一二六四)年十二月、駿河国富士郡上野(現在の静岡県富士宮市)の地頭、南条時光の父君である南条兵衛七郎殿へ与えられた御書の一文であります。 すなわち、たとえ法華経を千万部も書写し、一念三千の御法門を会得された人であっても、法華経の敵(かたき)である邪義邪宗の謗法を見て、そのままにして折伏をしないようでは、得道することはできないと厳しく仰せられているのであります。 まことに厳しい御指南でありますが、私どもの信心において、邪義邪宗の謗法をそのままにしておくことは、謗法厳戒の宗是(しゅうぜ)の上からもけっしてあってはならないことであります。 私どもの信心は、自行化他にわたる信心こそ肝要であり、「自行計(ばか)りにして唱へてさて止(や)みぬ」(御書 一五九四頁)と仰せのように、自行だけの信心、すなわち自分だけの信心、独善的な信心、利己的な信心は、本来の自行化他の信心から見て「さて止みぬ」と、大聖人様は厳しく誡(いまし)められているのであります。 それは例えば、朝廷に十年、二十年と仕えている者が、朝廷に対して敵対行為をなす者がいることを知りながら、それを上の者にも伝えず、自らも戒めずにいることは、今まで朝廷に対して積んできた功績を無にしてしまうようなものであると仰せられ、厳しく戒告されているのであります。 されば、今日(こんにち)、末法濁悪(じょくあく)の世相そのままに、間違った教えが跋扈(ばっこ)し、混沌(こんとん)とした様相を呈しているまさにかくなる時こそ、私どもは身軽(しんきょう)法重・死身弘法(ぐほう)の御聖訓を拝し、勇猛果敢に一天四海・皆帰(かいき)妙法を目指して、一意専心、折伏を行じていかなければならないのであります。 (大白法 令和6年5月16日号 掲載) (令和6年7月掲載) |