自分だけの幸せというのは、世の中には基本的に存在しないのです。 そうでしょう。 兄弟がいる、夫・妻がいる、色々な人が周りにいるのに、自分だけの幸せなど存在しますか、存在しないでしょう。 やはり、周りの人が幸せにならなければ、本当の自分の幸せは絶対に生まれてこないのです。 そこに、我々が大聖人様の教えをもって一切衆生救済の折伏を行う大きな意味が存しているのであります。 だから、ここをしっかりと見極めていかないと、本当の折伏にならなくなってしまいます。 そういう意味からしますと、当流の人達は正しい法を知っていかなければならないけれども、正しい法を知っても、まだ正しい法を知らない人達に対して下種折伏をしなければ、結局、恩を報ずることにならない、とおっしゃっているのです。 周りの人に対して「あいつはだめだな」「幸せになれないな」「不幸だな」などと思って傍観しているのは、慈悲の心のない人間でしょう。 そうではなく、そうなっている理由がなんであるかを教えてあげるのが本当の慈悲です。 これが折伏につながっていくわけで、非常に大事であります。 特に世の中の人達は、色々なことを言うのだけれども、結局は無知なのです。 要するに、ものを知らないということです。 何を知らないかというと、三重秘伝の仏法があることを知らない、大聖人様の仏法があることを知らない、という意味で無知なのです。 では、その無知の者にはどうしたらよいでしょうか。 教えればいいのです。 大聖人様の教えがあることを教える、それが折伏の始まりではありませんか。 色々な人達がいます。 不幸な人もいるし、経済的に困っている人や、人間関係で悩んでいる人もいます。 この人達に、ひとことでもいいから、大聖人様の教えを教えてあげるのです。 これが下種ではありませんか。 このことを忘れてしまうと、本当の御奉公はできません。 それは、一人だけの信心であり、一人だけの信心は、やはり本当の信心ではないのです。 ですから、この大聖人様の正しい教えを教えていくのです。 それが下種折伏であります。 皆さん方はきちんとなさっていらっしゃると思うけれども、自分だけの幸せを願っていたのでは、いつまで経っても自分の幸せは来ません。 自他共の幸せを願うことが、折伏の根本精神ですから、このことをしっかり覚えておく必要があります。 今日はもう時間ですので終わりますが、大事なことは何かと言えば、この信心をしっかりして、自行化他に励んでいくことです。 まず朝夕(ちょうせき)の勤行をしっかりやりましょう。 この朝夕の勤行が、信心の根本です。 それからもう一つ、 「一文一句なりともかたらせ給ふべし」(御書 六六八頁) と仰せですから、ひとことでもいいので「この信心をしませんか」とお話ししていかなくてはなりません。 折伏も、ここから全部、スタートするのです。 だから自分で一生懸命、信心して「私はお題目をいっぱい唱えてますよ」と言っても、折伏を忘れてしまったら、自行化他の一方が欠けてしまいます。 大聖人様の信心は自行化他の信心です。 今日は、そのことをしっかり覚えておいてください。 これから、みんなで心を合わせて折伏に励んでいくことが、皆さん方一人ひとりの本当の幸せにつながるのであります。 自らも幸せになれますし、折伏した相手も幸せになれます。 これが折伏です。 (大白法・令和2年2月1日号より抜粋) (令和2年4月掲載) |