日蓮正宗 昭倫寺

十一月度 広布唱題会の砌

 令和5年11月5日 於 総本山客殿


平等に与えられた時間をいかに価値ある時間とすることができるか。いかにしたら広布のために役立つ、すばらしい時間とすることができるか。それを決めるのは、我々自身であり、我々の信心であります。

大聖人様は『聖愚問答抄』に
「徒(いたず)らに世間の五欲にほだされて、白駒のかげ過ぎやすく、羊の歩み近づく事をしらずして、空(むな)しく衣食(えじき)の獄につながれ、徒らに名利の穴にを(堕)ち、三途(さんず)の旧里に帰り、六道のちまた(巷)に輪廻(りんね)せん事、心有らん人誰か歎(なげ)かざらん、誰か悲しまざらん」(御書 三八一頁)
と仰せであります。

人は、とかく理屈では解っていても、愚(おろ)かな欲望や懶惰(らんだ)懈怠(けたい)の悪(あ)しき縁に誑(たぶら)かされて、大事な時間を無駄にし、挙げ句の果てに、一生を虚(むな)しく過ごしてしまうことが多々あります。

こうした惰弱(だじゃく)なる命を強靭(きょうじん)な命に変えていくことができる唯一の道こそ、大聖人様の仏法であります。正しい御本尊のもとに、確信を持って信心をしていけば、広大無辺なる御本尊の功徳によって、
「不断煩悩。不離五欲」(法華経 六一〇頁)
と示される如く、煩悩を断(た)つこともなく、五欲を離れることもなく、同じ欲望であっても、邪(よこしま)な欲望から正しい欲望に変革していくことができるのであります。

この心の変化は、ただ、正しい御本尊様への絶対の確信と、身口意(しんくい)の三業にわたる強盛(ごうじょう)なる信心によって初めてかなえられるのであります。

(大白法 令和5年11月16日号 掲載)


(令和6年1月掲載)