大聖人様は『唱法華題目抄』に、 「末代には善無き者は多く善有る者は少なし。 故に悪道に堕(だ)せん事疑ひ無し。 同じくは法華経を強(し)ひて説き聞かせて毒鼓(どっく)の縁と成すべきか。 然(しか)れば法華経を説いて謗縁(ぼうえん)を結ぶべき時節なる事諍(あらそ)ひ無き者をや」(同 二三一頁) と仰せであります。 「毒鼓の縁」とは、既に皆様には御承知の通り、太鼓に毒を塗り、大衆のなかにおいてこれを打つと、その音を聞こうとする心はなくとも、聞く者すべてが死ぬという。 つまり、法を聞こうとする心はなしといえども、これを聞けば、やがて煩悩を断じて得道できることを、毒薬を塗った太鼓を打つことに譬えているのであります。 すなわち、一切衆生には皆、仏性が具わっており、正しい法を聞き、発心修行することによって成仏できることを示されているのであります。 されば私ども一同、『持妙法華問答抄』の「願はくは『現世安穏後生善処』の妙法を持つのみこそ、只今生の名聞御世の弄引なるべけれ。 須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧めんのみこそ、今生人界の思出なるべき」 との御金言を拝し、講中一結・異体同心して、お互いが声を掛け合い、励まし合い、一天広布へ向けて敢然として折伏を行じ、いよいよ自行化他の信心に励まれますよう心から願い、一言もって本日の挨拶といたします。 (大白法 令和6年6月16日号 掲載) (令和6年8月掲載) |