法華講員八十万人体勢の構築は、私どもが仏祖三宝尊の御宝前に固くお誓い申し上げた約束であります。 大聖人様は『上野殿御返事』に 「約束と申すはたが(違)へぬ事にて候」(御書 八二五頁)と仰せであります。 さらにまた『開目抄』には、 「つたな(拙)き者のならひは、約束せし事をまことの時はわするゝなるべし」(同 五七四頁) と仰せであります。 まさに、法華講員八十万人体勢の構築は、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年を期して、私どもが御宝前に固くお誓い申し上げた約束であり、この仏祖三宝尊とのお約束を果たすところに、真の仏恩報謝の道が開かれ、私どももまた揺るぎない幸せを築くことができるのであります。 すなわち、邪義邪宗の謗法の害毒によって塗炭(とたん)の苦しみに喘(あえ)ぐ多くの人々を救済し、五濁(ごじょく)乱漫として混迷を極める末法今時(こんじ)の荒廃した世情を浄化し、真の常寂光土を築くため、身軽(しんきょう)法重・死身弘法(ぐほう)の御聖訓のままに、法華講員八十万人体勢の構築を目指して勇猛果敢に折伏を行じ、もって一天広布に資していくところに、仏祖三宝尊の広大無辺なる功徳を享受することができるのであります。 大聖人様は『如説修行抄』に、 「然(しか)るに正像二千年は小乗・権大乗の流布の時なり。末法の始めの五百歳には純円一実の法華経のみ広宣流布の時なり。此(こ)の時は闘諍堅固(とうじょうけんご)・白法隠没(びゃくほうおんもつ)の時と定めて権実雑乱(ぞうらん)の砌(みぎり)なり。敵有る時は刀杖弓箭(とうじょうきゅうせん)を持つべし、敵無き時は弓箭兵杖(ひょうじょう)なにかせん。今の時は権教即実教の敵と成る。一乗流布の代(よ)の時は権教有って敵と成る。まぎ(紛)らはしくば実教より之(これ)を責むべし。是(これ)を摂折(しょうしゃく)の修行の中には法華折伏と申すなり。天台云はく『法華折伏破権門(ごんもん)理』と、良(まこと)に故あるかな。然るに摂受(しょうじゅ)たる四安楽の修行を今の時行ずるならば、冬(ふゆ)種子を下(くだ)して益(やく)を求むる者にあらずや。鶏(にわとり)の暁(あかつき)に鳴くは用(ゆう)なり、よい(宵)に鳴くは物怪(もっけ)なり。権実雑乱の時、法華経の御敵を責めずして山林に閉ぢ篭(こも)りて摂受の修行をせんは、豈(あに)法華経修行の時を失ふべき物怪にあらずや。されば末法今(いま)の時、法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へる。誰人にても坐(おわ)せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独(ひと)り成仏の法なりと音(こえ)も惜しまずよ(呼)ばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ」(同 六七二頁) と仰せであります。 この御文を拝する時、まさしく末法においては、折伏をもって正規とする所以(ゆえん)を知るとともに、改めて「権実雑乱の時、法華経の御敵を責めずして山林に閉ぢ篭りて摂受の修行をせんは、豈法華経修行の時を失ふべき物怪にあらずや」との仰せを、また「誰人にても坐せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ」との心肝に染め、講中のすべての者が異体同心・一致団結して立ち上がり、敢然として折伏を行じ、晴れて法華講員八十万人体勢構築の誓願を達成し、一天広布達成へ向けて精進されますよう心から念ずるものであります。 (大白法・平成31年1月16日号より抜粋) (平成31年3月掲載) |