日蓮正宗 昭倫寺

日如上人御言葉 三月度広布唱題会の砌

 令和5年3月5日 於 総本山客殿

「朝(ちょう)につか(仕)ふる人の十年二十年の奉公あれども、君の敵をし(知)りながら奏(そう)しもせず、私にもあだ(怨)まずば、奉公皆う(失)せて還(かえ)ってとが(咎)に行なはれんが如し」(御書 三二三頁)
と仰せのように、朝廷に仕えている人が、十年、二十年と長年にわたって奉公してきても、主君の敵を知りながら、上にも報告せず、その敵を憎(にく)みもせず、責(せ)めなければ、奉公の功績も皆、消えてしまい、かえって罪に問われるようなものであると仰せられているのであります。

いずこの世界にあっても、悪人を放置しておけば、その組織は内側から破壊されてしまいます。
また、そうした悪がはびこることを黙って許しておくことも、大きな罪であります。

すなわち、私どもの信心においては、悪(あ)しき謗法をそのまま放置しておくことは、謗法厳誡の宗是からいっても適正ではありません。
また、謗法を黙過しておくことは、必ず禍根を残すことになります。

私どもの信心において大事なことは、自行化他にわたる信心であります。
自行化他にわたる正しい信心の道に連(つら)なってこそ、初めて成仏をかなえることができるのでありますから、私どもは受持正行・折伏正軌(しょうき)の宗是をしっかり守り、信心に励んでいくことが肝要であります。

(大白法・令和5年3月16日号より抜粋)

(令和5年6月掲載)