『法華初心成仏抄』には、 「仏になる法華経を耳にふれぬれば、是(これ)を種として必ず仏になるなり。されば天台・妙楽も此の心を以(もっ)て、強(し)ひて法華経を説くべしとは釈し給へり。譬へば人の地に依りて倒れたる者の、返って地をおさへて起(た)つが如し。地獄には堕(お)つれども、疾(と)く浮かんで仏になるなり。当世の人何(なに)となくとも法華経に背(そむ)く失(とが)に依りて、地獄に堕ちん事疑ひなき故に、とてもかくても法華経を強ひて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓(どっく)の縁となって仏になるべきなり。何(いか)にとしても仏の種は法華経より外(ほか)になきなり」(御書 一三一六頁) と仰せであります。 御文中の「毒鼓の縁」とは、皆様も既に御承知のことと思いますが、涅槃経に出てくる話で「毒薬を塗った太鼓をたたくと、その音を聞こうとしない者の耳にも届き、やがて聞いた者は皆、死ぬ」と言われており、たとえ妙法を聞こうとする心はなくとも、妙法を耳にすることによって正法と縁し、発心・修行することによって成仏することができると仰せられているのであります。 つまり、末法今時では順縁の衆生はもとより、たとえ逆縁の衆生であったとしても、正法に縁することによって、将来、必ず救済することができると仰せられているのであります。 されば、私どもは改めて「とてもかくても法華経を強ひて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり。何にとしても仏の種は法華経より外になきなり」との仰せを心肝に染め、邪義邪宗の害毒によって不幸に喘ぐ多くの人々を救うべく、いよいよ講中一結・異体同心して折伏を行じ、新型コロナ感染症による今日の窮状を打開し、もっていよいよ正法流布に邁進されますよう心から願い、本日の挨拶といたします。 (大白法・令和3年5月16日号より抜粋) (令和3年8月掲載) |