日蓮正宗 昭倫寺

日如上人御言葉 元旦勤行の砌

 令和2年1月1日 於 総本山客殿 

私どもが誓願達成の戦いに挑んでいけば、あらゆる障魔が競い起こり、行く手を阻もうとすることは必定(ひつじょう)であります。
しかしながら、たとえいかなる障魔が行く手を阻もうが、
「魔競(きそ)はずば正法と知るべからず。第五の巻に云はく『行解(ぎょうげ)既に勤めぬれば三障四魔紛然(ふんぜん)として競ひ起こる、乃至随(したが)ふべからず畏(おそ)るべからず。之(これ)に随へば将(まさ)に人をして悪道に向かはしむ、之を畏れば正法を修することを妨(さまた)ぐ』等云々。此の釈は日蓮が身に当たるのみならず、門家の明鏡なり。謹んで習ひ伝へて未来の資糧とせよ」(御書 九八六頁)
との御金言を拝し、たとえ三障四魔が紛然として競い起きようが、我らは一支部も残すことなく、全支部が御宝前にお誓いした折伏誓願を必ず達成すべく立ち上がり、勇猛果敢に折伏を行じていくことが、今、我らに課せられた最も大事な使命であることを自覚し、行動を起こしていくことが肝要であります。

『法華初心成仏抄』には、
「仏になる法華経を耳にふれぬれば、是(これ)を種として必ず仏になるなり。されば天台・妙楽も此(こ)の心を以(もっ)て、強(し)ひて法華経を説くべしとは釈し給へり。譬へば人の地に依りて倒れたる者の、返って地をおさへて起(た)つが如し。地獄には堕(お)つれども、疾(と)く浮かんで仏になるなり。当世の人何(なに)となくとも法華経に背く失(とが)に依りて、地獄に堕ちんこと疑ひなき故に、とてもかくても法華経を強ひて説き聞かすべし」(同 一三一六頁)
と仰せであります。

すなわち、大聖人様の仏法は順逆二縁共に救っていく教えであります。
されば、この広大無辺なる御仏智を拝する時、私どもはたとえ相手が逆縁の衆生であっても、根気よく法を説き、折伏することが大事なのであります。


(大白法・令和2年1月16日号より抜粋)

(令和2年2月掲載)