世の中の多くの人々は、自分の死を眼前にしなければ、生死の問題を真剣に考えようとせず、頭では解っていても、日ごろの煩雑(はんざつ)さに紛(まぎ)れ、あるいは快楽や世間の名聞や体裁に執われて、虚(むな)しく一生を過ごし、六道を輪廻(りんね)しているのが現状であります。 しかしながら、いかなる人も死を免れることはできないのでありますから、一切衆生救済の秘法たる本因下種の妙法を信じ、生死の理を正しく領解(りょうげ)して、未来永劫にわたる幸せの境界(きょうがい)を、今こそ築いていくことが、最も肝要なのであります。 そのためには『持妙法華問答抄』に、 「寂光の都ならずば、何(いづ)くも皆(みな)苦なるべし。本覚の栖(すみか)を離れて何事か楽しみなるべき。願はくは『現世安穏(げんぜあんのん)後生善処(ごしょうぜんしょ)』の妙法を持(たも)つのみこそ、只(ただ)今生の名聞(みょうもん)後世の弄引(ろういん)なるべけれ。須(すべから)く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧(すす)めんのみこそ、今生人界の思出(おもいで)なるべき」(御書 三〇〇頁) との御金言を拝し、大御本尊様への絶対信をもって自行化他の信心に励むことが肝要であり、そこに私どもの一生成仏が存していることを知らなければなりません。 特に、昨今の混沌(こんとん)とした様々な世情を見る時、この混迷を極めている原因は『立正安国論』の原理に照らして見るに、まさしく謗法の害毒にあることを、一人ひとりがしっかりと認識し、破邪顕正の御聖訓のままに、敢然として折伏を行じていくことこそ、今、最も大事であります。 されば、今こそ私どもは、 「仏になる法華経を耳にふれぬれば、是を種として必ず仏になるなり。されば天台・妙楽も此の心を以(もっ)て、強(し)ひて法華経を説くべしとは釈し給へり。譬へば人の地に依りて倒れたる者の、返って地をおさへて起(た)つが如し。地獄には堕(お)つれども、疾(と)く浮かんで仏になるなり。当世の人何(なに)となくとも法華経に背く失(とが)に依りて、地獄に堕ちんこと疑ひなき故に、とてもかくても法華経を強ひて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓(どっく)の縁となって仏になるべきなり。何(いか)にとしても仏の種は法華経より外(ほか)になきなり」(同 一三一六頁) との御金言を胸に、講中一結・異体同心して、一意専心、破邪顕正の折伏を行じていくことこそ、今、最も肝要なのであります。 (大白法・平成29年10月16日号より抜粋) (平成30年1月掲載) |