『御義口伝』にも、 「此の本法を受持するは信の一字なり。元品(がんぽん)の無明(むみょう)を対治する利剣は信の一字なり。無疑曰信(むぎわっしん)の釈之(これ)を思ふべし云云」(御書一七六四頁) と仰せられております。 元品の無明という煩悩(ぼんのう)の根本を打ち破るのは信しかないのであり、まさに無疑曰信、疑い無きを信と曰(い)うとある、この信の一念こそが最も大事であると、ここでお示しなのであります。 我々の信心においても、自行化他の両面にわたってそうです。 朝夕の勤行をはじめ、普段の様々な会合などでみんな、お題目を唱えますね。 その時の信心の姿、ご本尊様に対する無疑曰信の絶対信、この信念が必ず通ずるのです。 折伏もそうです。 この人をなんとかして折伏する、この人をなんとしても幸せにするという、その一念信の強さというものが、まさに凍るはずのない河を凍らせ、立つはずのない石に矢を立てるようなことを起こすのです。 (中略) 大聖人様はなぜ、光武(こうぶ)帝や李広(りこう)将軍の故事を引かれて、凍るはずのない河が凍る、あるいは立つはずのない石にも矢が立つということをおっしゃったのか。 これは、信というものがいかに尊いか、つまり我々一人ひとりが無疑曰信の信心に立って、信心強情に努めなければならないことを、その例として示されておられるわけです。 折伏もそうです。 広宣流布の戦いもそうなのです。 本日、来ている四千人の方々の一人ひとりが、本当に信念力をもって戦ってごらんなさい。 皆さん自身がまず、変わりますよ。 そして皆さん方の周りの人が変わりますよ。 そうすれば、講中が変わります。 講中が変われば、それが必ず大きな力となり、大きなうねりとなってきますよ。 皆さん方には是非、本日お帰りになったら、今日から広宣流布の戦いに参加して、広宣流布の大きなうねりの基(もと)をお作りいただきたいと、心からお願いする次第であります。 (大日蓮・平成26年9月号より抜粋) (平成28年9月掲載) |