『乙御前御消息』には、 「提婆達多(だいばだった)と申すは閻浮(えんぶ)第一の大悪人なれども、法華経にして天王(てんのう)如来となりぬ。又阿闍世(あじゃせ)王と申せしは父をころせし悪王なれども、法華経の座に列(つら)なりて一偈一句の結縁衆(けちえんしゅ)となりぬ」(御書 八九五頁) と仰せられております。 つまり、提婆達多品で悪人成仏が示され、その例として、提婆達多ほどの悪逆の者であっても、妙法蓮華経に縁することによって必ず救われることが示されているのです。 まさに、この妙法蓮華経の力が、どれだけすごいかということが明らかであります。 だから、私達も色々な人に接することがあるでしょう。 そのうちの、どんな人にでも必ず仏性があるのであり、その仏性があるかぎり、私達の折伏によって、どんな人でも必ず救われるのです。 だから我々自身が、そういう確信を持って折伏すればいいのです。 そうすると、相手に伝わる波長が全然、違いますよ。 人間は不思議なもので、我々にだって、その人が真剣に話しているのか、嘘(うそ)っぱちを言っているのか、いい加減に言っているのか、そのぐらい判る能力はありますよね。 だから、折伏の時もそうなのです。 私達が本当に相手のことを思って、一生懸命に言葉を伝えていくと、それはきちんと通じるのです。 ところが、こちらがお題目を唱えてない、本気になって折伏しようとしていない、まあ言われるから、仕方がないからやっているというような気持ちでいると、相手にはみんな判ってしまいます。 だから、やはり折伏の前に唱題をするのです。 しっかりとお題目を唱えて、その唱題の功徳と歓喜をもって折伏に行ってごらんなさい。 自然に私達の真心(まごころ)が相手に伝わります。 相手がどんな人間であっても、そのように必ず伝わっていくのです。 だから、折伏においても真心が非常に大事です。 提婆達多にも、この真心が通じたわけです。 やはり、そのように一人ひとりが、まず自分が唱題する。 お題目を唱えて、その唱題の功徳と歓喜をもって相手にお話をすればいいのです。 難しい話は必要ありません。 「この信心をしたら幸せになれますよ」と伝えればいいのです。 私の知っているある御信者さんは、今は亡くなってしまいましたけれども、折伏名人と言われたおばあさんでした。 その人は、難しいことは一つも言わない。 「この信心をしたら幸せになりますよ」「やらないの。あんた、度胸ないね」というような感じです。 一見、稚拙(ちせつ)なような折伏なのだけれども、真心をもって行っているのです。 言葉巧みに、演説っぽく、理論的に攻めていくのではなくても、真心があれば伝わるのです。 そのおばあさんは昔の人ですから、本当にスパッとそのような話をするのです。 その人の折伏する相手には弁護士とか、そういう人もいたのですが、それらの人達がみんな感動するのです。 だから、一生懸命に折伏する、真心込めて折伏するのが大事です。 人というのは、相手がどんな気持ちでお話をしてくれているか判るのです。 相手にも感性があり、こちらにも感性があり、それがしっかりと合う。 そのようにして、たくさんの人達を折伏し信心させた例が実際にあるのであります。 そのように考えると、信心というのはすごいのです。 悪逆の提婆達多でさえも、この妙法蓮華経によって必ず救われるのですから、私達はもっと自信を持っていいし、もっと自信を持って折伏をすべきだと思います。 「本当かなあ」などと思っている人はいないと思うけれども、本当に自信を持ってください。 それが折伏で一番大事です。 (大白法・平成29年3月1日号より抜粋) (平成29年5月掲載) |