『善無畏三蔵抄』には、 「仮令(たとい)強言(ごうげん)なれども、人をたすくれば実語・軟語(なんご)なるべし。設(たと)ひ軟語なれども、人を損ずるは妄語(もうご)・強言なり。当世学匠(がくしょう)等の法門は、軟語・実語と人々は思(おぼ)し食(め)したれども皆強言・妄語なり。仏の本意たる法華経に背(そむ)く故なるべし。日蓮が念仏申す者は無間(むけん)地獄に堕つべし、禅宗・真言宗も又謬(あやま)りの宗なりなんど申し候は、強言とは思し食すとも実語・軟語なるべし」(御書 四四五頁) と仰せであります。 大聖人様が、念仏に対しては無間地獄に堕つると言い、あるいは禅宗や真言宗に対しては誤りの教えであると厳しく断じているのは、一見すると強言のようではありますが、実には相手を救い、幸せの境界に導くための慈悲の言動であって、これこそ真実の言葉、相手を思う優しさを持った言葉であると仰せられているのであります。 まさに、折伏は相手の幸せを願う慈悲行であります。 もちろん、私どもが折伏を行じていけば、あらゆる障魔が競い起きることは必定(ひつじょう)であります。 しかし、たとえいかなる障魔や困難が襲い来ても、一閻浮提(いちえんぶだい)第一の御本尊を信じている我々は、 「持(たも)たるゝ法だに第一ならば、持つ人随って第一なるべし」(同 二九八頁) との御金言を拝信し、泰然として、確信を持って困難に立ち向かっていくことが、解決への最善の道であることを知るべきであります。 この大御本尊に対する絶対的な確信が大事なのであります。 したがって、いかなる障魔が襲い起きようが、それに負けないで自行化他にわたる信心を貫き通していけば、必ず現世には幸せを築き、三悪道の流転から逃れることができるのであります。 どうぞ皆様には、今こそ、来たるべき平成三十三年・法華講員八十万人体勢構築を目指して、講中一結・一意専心して折伏に励み、もって真の幸せを築かれますよう心からお祈りし、本日の挨拶といたします。 (大白法・平成30年4月16日号より抜粋) (平成30年7月掲載) |