日蓮正宗 昭倫寺

日如上人御言葉 七月度 唱題会の砌


七月度 唱題会の砌

 平成30年7月1日 於 総本山客殿

『法華初心成仏抄』には、
「とてもかくても法華経を強(し)ひて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓(どっく)の縁となって仏になるべきなり。何(いか)にとしても仏の種は法華経より外(ほか)になきなり」(御書 一三一六頁)
と仰せであります。

皆様には既に御承知の通り、「毒鼓」とは毒薬を塗った太鼓のことで、涅槃経に、
「毒薬を太鼓に塗り、大衆のなかにおいてこれを打てば、太鼓の音を聞こうとしない者でも、自然と太鼓の音を聞くことになり、皆、死んでしまう」
とあります。

これは、法を聞き、信じようとせずに反対しても、やがて煩悩を断じて得道できることを毒鼓、すなわち毒を塗った太鼓を打つことに譬え、一切衆生には皆、仏性が具(そな)わっており、正法を聞き、発心・修行することによって成仏することができると仰せられているのであります。

すなわち末法今時(こんじ)では、順縁の衆生はもとより逆縁の衆生であっても、三大秘法の南無妙法蓮華経を聞かせることによって正法と縁を結ばせ、必ず救済することができると仰せられているのであります。

されば今、私どもはこの御教示を拝し、講中の老若男女が心を一つにして、決然として邪義邪宗の謗法を退治し、果敢に折伏を行じていくところ、必ず過去遠々劫(おんのんごう)の罪障を消滅し、計り知れない広大なる功徳を享受することができるのであります。

逆に、
「謗法(ほうぼう)を責めずして成仏を願はゞ、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし」(御書 一〇四〇頁)
と仰せの如く、たとえ信心をしていても、謗法によって不幸に喘(あえ)ぎ、苦しんでいる人々を見て、そのまま黙って見過ごし、折伏もしないようでは、過去遠々劫からの罪障も消滅できず、真の幸せを招き寄せることができないと仰せられているのであります。

今、宗門は、いよいよ三年後に迫った宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の佳節を迎えるに当たり、宗門挙(あ)げて折伏に取り組んでいます。

この時に当たり、私ども一人ひとりが、栄(は)えある法華講員として誓願達成、一天広布を目指して折伏を行じていくことが、まさしく大聖人様の御意(ぎょい)にかなう信心であり、一生成仏を果たす最善の方途(ほうと)であることを知るべきであります。

どうぞ、皆様には信心強盛(ごうじょう)に、不退転の決意をもって、誓願達成へ向けて折伏を行じ、いよいよ御精進下さるよう心からお祈り申し上げます。

(大白法・平成30年7月16日号より抜粋)

(平成30年10月掲載)