『土篭御書』は、文永八(一二七一)年十月九日の御書です。 すなわち、竜口の法難が九月十二日にあったあと、大聖人様が佐渡へ流される前日に認(したた)められた御書であります。 内容は、まず明日、佐渡へ出発することを告げられ、大聖人様自らが大変な御身にありながら、牢獄に閉じ込められておりました弟子達のことをいたわり、牢中の寒気の厳しさを思いやって同情され、法華経を身口意(しんくい)の三業、色心の二法にわたって読誦する功徳を称賛されております。 そして、法華経安楽行品に、 「天の諸(もろもろ)の童子 以(もっ)て給使(きゅうじ)を為(な)さん刀杖も加えず 毒も害すること能(あた)わじ」(法華経 四〇二頁) と、一生懸命に信心をしていけば刀杖等の難も免(まぬか)れることができると示されている御文を挙げて、必ず諸天善神の加護があることを示され、この先いかなることがあろうとも身は安泰であると激励されております。 なかんずく当文は、法華経を読んだ人は多くいるけれども、そのほとんどの人は、ただ口先だけ、文の上辺(うわべ)だけを読んで、その心、元意を読んでいない。 また、たとえ心で読んだとしても、身では読んでいない。 やはり、色心二法にわたって読むことが大事であるとおっしゃっているのであります。 ですから、我々の修業においては身口意の三業、色心の二法ということが大事であり、まさにこの御書にあります通り、いくら口先で読んでも、心で読まなければだめなのです。 さらに、心で読んでも、身で読まなければだめだ、つまり行動が伴わなければだめだと言っているのです。 これはよく言う話ですが、身口意の三業がバラバラな人間が、世の中にはたくさんいるのです。 口ばかりで、身でやらない。 その上、思っていることも違うとなったら、みんなバラバラで、どうしようもない話です。 やはり、身口意の三業ということが大事なのであります。 信心においても、ここが大事なのです。 つまり、言うことも、することも、思うことも、身口意の三業すべてを御本尊様への信仰のもとに行じていくことが大事なのです。 これを「色心二法共にあそばされたること貴く候へ」とおっしゃっているのでありますから、我々は自分の信心をよく振り返って自問自答して、この御文を信心の糧(かて)にしていただきたいと思います。 (大白法・平成29年10月1日号より抜粋) (平成29年12月掲載) |