大聖人様は『阿仏房尼御前御返事』に、 「いふ(言)といはざる(不言)との重罪免(まぬか)れ難し。云ひて罪のまぬかるべきを、見ながら聞きながら置いていま(禁)しめざる事、眼耳の二徳忽(たちま)ちに破れて大無慈悲なり。章安の云はく『慈無くして詐(いつわ)り親しむは即ち是(これ)彼が怨(あだ)なり』等云云」(御書 九〇六頁) と仰せであります。 (中略) 初めに「いふといはざるとの重罪免れ難し」と仰せでありますが、この御文意は、前段において、謗法に対しては厳しく破折すべきであるが、時にその浅深によって厳しく責めないこともある。 しかし、相手の謗法を知って、これを明らかに破折すれば世間の憎しみを受け、さりとて、これを黙して破折もしなければ与同罪を受けなければならない。 いずれにしろ、その重罪は免れ難い。 しかも謗法の者を見て、これを破折すれば与同罪を逃れることができるのに、謗法を目(ま)の当たりにして、また耳にしながら誡(いまし)めないのは「眼耳の二徳忽ちに破れて大無慈悲」の者となるとの御指南であります。 されば、章安大師は「慈無くして詐り親しむは即ち是彼が怨なり」と仰せられ、詐り親しむのではなくして、一人でも多くの人に慈悲の心をもって下種折伏していくことが、いかに大事であるかを教えられているのであります。 特に今、宗門は、来たるべき平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築の実現へ向かって、僧俗一致の態勢をもって前進しておりますが、その誓願達成のためには、異体同心の団結をもって折伏に打って出ることが絶対不可欠であります。 されば、大聖人様は『生死一大事血脈(けちみゃく)抄』に、 「総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此(じたひし)の心なく、水魚の思いを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処(ところ)を、生死一大事の血脈とは云ふなり。然(しか)も今日蓮が弘通する処の所詮是(これ)なり。若(も)し然らば広宣流布の大願も叶(かな)ふべき者か」(同 五一四頁) と仰せられ、広布達成の要諦は異体同心の団結にあることを御教示あそばされているのであります。 どうぞ皆様には、平成三十三年の誓願達成の戦いには、講中一結・異体同心の団結が不可欠であることを銘記され、いよいよ御精進くださることをお願いし、本日の挨拶といたします。 (大白法・平成30年4月1日号より抜粋) (平成30年5月掲載) |