(立正安国論 御書二五〇頁二行目) 広く衆経を披(ひら)きたるに専ら謗法を重んず。悲しいかな、皆正法(しょうぼう)の門(もん)を出でて深く邪法の獄(ごく)に入る。愚かなるかな各(おのおの)悪教の綱に懸(か)かりて鎮(とこしなえ)に謗教の網に纏(まつ)はる。此の朦霧(もうむ)の迷ひ彼の盛焔(じょうえん)の底に沈む。豈愁(うれ)へざらんや、豈苦しまざらんや。 (通解) 広く衆経を開いてみると、いずれも謗法の罪がいかほど重いかを説いている。 しかるに、悲しむべきことに、人々は皆、正法の門を出て、深く邪法にとらわれている。 愚かなことに、悪教の綱にかかり、謗教の網にまつわっている。 この、現世における、邪正に迷う朦霧の心によって、後生は無間地獄の底に沈むのである。 どうして、愁えずにおられようか、苦しまずにおられようか。 |