(安国論奥書 御書四一九頁十四行目) 文応元年太歳庚申之を勘ふ。正嘉に之を始めてより文応元年に勘へ畢んぬ。 去ぬる正嘉元年太歳丁巳八月廿三日戌亥(いぬい)の剋(こく)の大地震を見て之を勘ふ。 其の後文応元年太歳庚申七月十六日を以て、宿谷(やどや)禅門に付して故最明寺入道殿に奉れり。其の後文永元年太歳甲子七月五日大明星の時、弥々(いよいよ)此の災の根源を知る。 (通解) (この奥書は、文永六年十二月八日に日蓮大聖人様が立正安国論を写された際、末尾に付け加えられたものである。) この立正安国論は文応元年に著述したものである。 正嘉よりこれを著し始めて、文応元年に著し終わった。 去る正嘉元年八月二十三日午後九時頃に起きた大地震を見て、立正安国論を著した。 その後、文応元年七月十六日に宿屋入道を通じて、この書を故最明寺入道殿に献上したのである。 その後、文永元年七月五日に大彗星が現れたことをもって、いよいよ、この災難の根源を確信した。 |