日蓮正宗 昭倫寺

立正安国論(r2.8)


(立正安国論 御書二四七頁十三行目)

 客の曰く、若し謗法の輩を断じ、若し仏禁(ぶっきん)の違(い)を絶たんには、彼の経文の如く斬罪(ざんざい)に行なふべきか。若し然らば殺害(せつがい)相加へ罪業何(いかん)が為(せ)んや。
 則ち大集経に云はく「頭(こうべ)を剃り袈裟(けさ)を著(じゃく)せば持戒及び毀戒(きかい)をも、天人彼を供養すべし。則ち為(こ)れ我を供養するなり。是我が子なり。若し彼をか打(※1)すること有れば則ち為れ我が子を打つなり。若し彼を罵辱(めにく)せば則ち為れ我を毀辱(きにく)するなり」と。


(通解)

客がいわく、もし謗法の輩を断じ、仏の禁めに違背する者を絶つとすれば、前の経文に示されるように、斬罪に処すべきであろうか、もし、しからば、殺害の罪が加わることになり、その罪業はどうするのか。

すなわち大集経にいわく、
「頭を剃り、袈裟を身につければ、それが持戒の人であれ破戒の人であれ、天界・人界の衆生はその人を供養すべきである。
これ、すなわち、仏である自分を供養することになるからである。
それらの僧尼は、みな我が子である。
もし彼等を打つようなことがあれば、すなわち、それは我が子を打つことである。
もし、彼等を罵り侮辱するならば、すなわち、それは我れを毀り侮辱することになるのである。」
と。