日蓮正宗 昭倫寺

立正安国論(r2.12)


(立正安国論 御書二四八頁九行目)

(いま)主人広く経文を引いて明らかに理非を示す。故に妄執既(すで)に飜(ひるがえ)り、耳目(じもく)(しばしば)(あき)らかなり。所詮(しょせん)国土泰平天下安穏(あんのん)は、一人(いちにん)より万民(ばんみん)に至るまで好む所なり楽(ねが)ふ所なり。早く一闡提(いっせんだい)の施を止め、永く衆(しゅ)僧尼(そうに)の供(く)を致し、仏海(ぶっかい)の白浪(はくろう)を収め、法山(ほうざん)の緑林(りょくりん)を截(き)らば、世は羲農(ぎのう)の世と成り国は唐虞(とうぐ)の国と為らん。然して後(のち)法水の浅深(せんじん)を斟酌(しんしゃく)し、仏家の棟梁(とうりょう)を崇重せん。


(通解)

今、主人が、広く経文を引いて、明らかに理非を示してくださった。
おかげで私のこれまでの妄執は翻り、邪正の分別がほぼ明らかになった。
所詮、国土が泰平になり、天下が安穏になることは、上一人から下万民に至るまでが好むところであり、願うところである。
すみやかに謗法不信の者への布施を止め、永く正法の僧尼に供養をいたして、仏法界を惑乱する賊を断絶するならば、世は伏羲・神農の時代のごとく、国は唐堯・虞舜の治めた国のごとくなるであろう。
しかして後、仏法の浅深を思慮分別して、仏法の根本の師を深く尊崇したいと思う。


註:羲農の世・唐虞の国=共に中国上古の聖王と伝えられ、羲農の世は、伏羲(ふっき)・神農の時代を併せて称したもので、この時代は伏羲・神農の徳によって新たな文化が栄え、災害が起こらぬ安穏な世の中であり、唐虞の国は、唐堯(とうぎょう)・虞舜(ぐしゅん)の治世を併せて称したもので、いずれも勝れた仁徳によって善政を行い、国を平和に治めたという。