(立正安国論 御書二四八頁三行目) 主人の曰く、客明らかに経文を見て猶(なお)斯(こ)の言(ことば)を成す。心の及ばざるか、理の通ぜざるか。全く仏子を禁(いまし)むるに非ず、唯偏(ひとえ)に謗法を悪(にく)むなり。夫(それ)釈迦の以前の仏教は其の罪を斬ると雖も、能仁(のうにん)の以後の経説(きょうせつ)は則ち其の施を止む。然れば則ち四海万邦(ばんぽう)一切の四衆、其の悪に施さずして皆此(こ)の善に帰せば、何なる難か並び起こり何なる災か競ひ来たらん。 (通解) 主人のいわく。 あなた(客)は、上に挙げた涅槃経等の文を明らかに見ながら、なお、そのようなことを言っている。 私の心が及ばないのか、あなたには道理というものが通じないのか。 謗法を断絶せよ、というのは、全く仏子を誡めることではない。 ただ単に謗法を憎むことなのである。 また、釈尊の以前を説いた経文では、その罪を斬ったと述べているが、釈尊の以後を説いた経文では、すなわち謗法への布施を停止すべきであると示されている。 しかればすなわち、世界中の一切の人が、謗法に布施をせず、皆、この正法に帰依するならば、いかなる難が並び起こり、いかなる災いが競い来ることがあろうか。 |