(立正安国論 御書二四七頁十七行目) 料(はか)り知んぬ、善悪(ぜんなく)を論ぜず是非を択(えら)ぶこと無く、僧侶たらんに於ては供養を展(の)ぶべし。何ぞ其の子を打辱(だにく)して忝(かたじけな)くも其の父を悲哀(ひあい)せしめん。彼の竹杖(ちくじょう)の目連尊者を害せしや永く無間(むけん)の底に沈み、提婆達多の蓮華比丘尼を殺せしや久(ひさ)しく阿鼻の焔(ほのお)に咽(むせ)ぶ。先証(せんしょう)斯(これ)明らかなり、後昆(こうこん)最も恐れあり。謗法を誡(いまし)むるに似て既に禁言を破る。此の事信じ難し、如何(いかん)が意得(こころえ)んや。 (通解) このことから分かるように、善悪を論じたり是非を選ぶことなく、僧侶たる者に対しては供養しなくてはならない。 どうして、仏の子を打ち侮辱して、その父(仏)を悲しませることができようか。 かの竹杖外道(バラモン)は、目連尊者を害したことにより、永く無間地獄の底に沈み、また提婆達多は、蓮華比丘尼を殺したことにより、久しく阿鼻地獄の炎にむせんだ。 先証がこのように明らかであるから、後の世の人も僧侶を害する罪を最も恐れるのである。 あなたの言うことは、あたかも謗法を誡めるかのようにみえて、既に仏の禁言を破っている。 このことは、実に信じ難いことである。 どのように心得たらよいのであろうか。 |