日蓮正宗 昭倫寺

立正安国論(r2.9)


(立正安国論 御書二四七頁十七行目)

(はか)り知んぬ、善悪(ぜんなく)を論ぜず是非を択(えら)ぶこと無く、僧侶たらんに於ては供養を展(の)ぶべし。何ぞ其の子を打辱(だにく)して忝(かたじけな)くも其の父を悲哀(ひあい)せしめん。彼の竹杖(ちくじょう)の目連尊者を害せしや永く無間(むけん)の底に沈み、提婆達多の蓮華比丘尼を殺せしや久(ひさ)しく阿鼻の焔(ほのお)に咽(むせ)ぶ。先証(せんしょう)(これ)明らかなり、後昆(こうこん)最も恐れあり。謗法を誡(いまし)むるに似て既に禁言を破る。此の事信じ難し、如何(いかん)が意得(こころえ)んや。


(通解)

このことから分かるように、善悪を論じたり是非を選ぶことなく、僧侶たる者に対しては供養しなくてはならない。
どうして、仏の子を打ち侮辱して、その父(仏)を悲しませることができようか。
かの竹杖外道(バラモン)は、目連尊者を害したことにより、永く無間地獄の底に沈み、また提婆達多は、蓮華比丘尼を殺したことにより、久しく阿鼻地獄の炎にむせんだ。
先証がこのように明らかであるから、後の世の人も僧侶を害する罪を最も恐れるのである。
あなたの言うことは、あたかも謗法を誡めるかのようにみえて、既に仏の禁言を破っている。
このことは、実に信じ難いことである。
どのように心得たらよいのであろうか。