(立正安国論 御書二四九頁七行目) 就中(なかんずく)人の世に在(あ)るや各(おのおの)後生を恐る。是(ここ)を以て或は邪教を信じ、或は謗法を貴ぶ。各是非に迷ふことを悪(にく)むと雖も、而も猶仏法に帰することを哀(かな)しむ。何ぞ同じく信心の力を以て妄(みだ)りに邪義の詞(ことば)を崇(あが)めんや。若し執心飜(ひるがえ)らず、亦曲意(きょくい)猶存せば、早く有為(うい)の郷(さと)を辞して必ず無間(むけん)の獄(ひとや)に堕(お)ちなん。 (通解) 特に、世の中に在る人々は、各々後生のことを恐れている。 そして是を以って、或いは邪宗教を信じ、或いは謗法を貴んでしまっている。 自分は各々が正邪に迷っていることを憤るものであるが、それも、仏法に救いを求めて帰依しているのだということを想えば、哀しまずにはおられない。 どうして同じ信心の力を持って、妄りに邪義の言葉を崇めるのであろうか。 もし、邪宗邪義に対する曲がった心がなお存するならば、早くこの世を去って、必ず無間地獄に堕ちるであろう。 |