日蓮正宗 昭倫寺

立正安国論(h30.5)


(立正安国論 御書二三七頁一七行目)


 客色を作(な)して曰く、後漢の明帝(めいてい)は金人(きんじん)の夢を悟りて白馬の教(きょう)を得、上宮(じょうぐう)太子は守屋(もりや)の逆を誅(ちゅう)して寺塔の構(かま)へを成す。爾(しか)しより来(このかた)、上一人より下万民に至るまで仏像を崇(あが)め経巻を専(もっぱ)らにす。然(しか)れば則ち叡山・南都・園城(おんじょう)・東寺・四海・一州・五畿・七道(しちどう)に、仏経は星のごとく羅(つら)なり、堂宇(どうう)(くも)のごとく布(し)けり。しゅう子(しゅうし)(*1)の族(やから)は則ち鷲頭(じゅとう)の月を観じ、鶴勒(かくろく)の流(たぐい)は亦鶏足(けいそく)の風(ふう)を伝ふ。誰(たれ)か一代の教(きょう)を褊(さみ)し三宝(さんぽう)の跡を廃すと謂(い)はんや。若し其の証有らば委しく其の故を聞かん。
 主人喩(さと)して曰く、仏閣(ぶっかく)(いらか)を連(つら)ね経蔵軒(のき)を並べ、僧は竹葦(ちくい)の如く侶(りょ)は稲麻(とうま)に似たり。崇重(そうじゅう)年旧(としふ)り尊貴日(そんきひ)に新(あら)たなり。但し法師は諂曲(てんごく)にして人倫を迷惑し、王臣は不覚にして邪正を弁(わきま)ふること無し。
 仁王経に云はく「諸の悪比丘多く名利を求め、国王・太子・王子の前に於て自(みずか)ら破仏法の因縁・破国の因縁を説かん。其の王別(わきま)へずして此の語(ことば)を信聴し、横に法制を作りて仏戒に依らず。是を破仏・破国の因縁と為す」已上。
 涅槃経に云はく「菩薩、悪象等に於ては心に恐怖(くふ)すること無かれ。悪知識に於ては怖畏(ふい)の心を生ぜよ。悪象の為に殺されては三趣(さんしゅ)に至らず、悪友の為に殺されては必ず三趣に至る」已上。


(通解)

客が顔色を変えて言うには、後漢の顕宗孝明皇帝は、金人の夢を見て、その意味を悟り、インドから仏教典を白馬に乗せて渡らせた。
日本の聖徳太子は、排仏派の物部守屋の叛逆を討伐し、国内に寺塔を建立して仏教を興隆した。
以来、上は天皇から下は万民に至るまで、仏像を崇め経巻を読むようになったのである。
それ故に、比叡山・南部・園城・東寺をはじめ、四海・一州・五畿・七道の津々浦々まで、仏像・経巻は星のごとく連なり、寺院は雲のごとく建ち並んでいる。
また、諸宗の高僧達は、舎利弗以来の伝統を守って観法を行じ、鶴勒以来の伝統を守って教法を習学している。
いったい、釈尊一代の聖教を軽んじ、仏法僧を廃れさせてしまったことなどと、誰がいえようか。
もし、その根拠があるというのなら、詳しくそのわけを聞こうではないか。

主人が諭して言うには、確かに多くの寺院・仏閣が甍を連ね、経蔵が軒を並べるようにして建っているし、僧侶も竹葦・稲麻のように大勢いる。
寺院や僧侶を人々が崇め重んじるようになって年久しく、これを尊ぶ信仰心は日に日に新たである。
但し、その僧侶は権力などに諂い、心が曲がっていて人々を正しい道に迷わせており、国王や臣下は仏法の道理に暗いため、その邪正を弁えられずにいるのである。

仁王経に「諸々の悪い僧侶の多くは、自分の名誉や利益を求めて、国王や太子・王子などの権力者の前で、自ら仏法を破る因縁、国を破る因縁となる教えを説くであろう。その王は、その教えの正邪を弁えることができずに、その言葉をそのまま信じて聞いてしまい、道理に外れて仏戒によらない。これを破仏・破国の因縁となすのである。」以上。

涅槃経には「菩薩達よ、凶暴な悪象等に対しては恐怖することはない。しかし悪知識に於ては恐れる心を起こさなければならない。悪象の為に殺されても三悪道に堕ちることはないが、悪友に殺されれば必ず三悪道に堕ちるからである。」以上