(立正安国論 御書二三九頁三行目) 客猶(なお)憤(いきどお)りて曰く、明王(めいおう)は天地に因(よ)って化を成し、聖人は理非を察(つまび)らかにして世を治む。世上の僧侶は天下の帰する所なり。悪侶に於ては明王信ずべからず、聖人に非(あら)ずんば賢哲(けんてつ)仰ぐべからず。今賢聖(けんせい)の尊重せるを以て則ち竜象の軽からざることを知んぬ。何ぞ妄言(もうげん)を吐(は)きて強(あなが)ちに誹謗を成し、誰人(たれびと)を以て悪比丘(びく)と謂(い)ふや、委細に聞かんと欲す。 (通解) 客が前にも増して怒って言うには、明王というものは天地の道理に則って政を行い、聖人(せいじん)というものは善悪を正しく立て分けて世を治めるものである。 そもそも、世の僧侶達は、いずれも天下万民があまねく帰依しているところである。 もし、それが悪侶であれば、明王は信じないであろうし、聖人(しょうにん)でないならば、才人・識者達が信じ仰ぐわけがない。 今、世の賢人や聖人(せいじん)達が尊重しているのを見れば、その僧侶達が竜象ともいうべき立派な高僧であることがわかるのである。 それなのに、あなたは、どうして根も葉もない、いいかげんな言葉を吐いて、むりやりに誹謗し、誰人のことをさして悪僧といっているのか。 詳しく聞きたいものである。 |