日蓮正宗 昭倫寺

立正安国論(h29.9)


(立正安国論 御書二三四頁七行目)

(しか)りと雖(いえど)も唯(ただ)肝胆(かんたん)を摧(くだ)くのみにして弥(いよいよ)飢疫に逼(せま)り、乞客(こっかく)目に溢(あふ)れ死人眼(まなこ)に満てり。臥(ふ)せる屍(しかばね)を観(ものみ)と為(な)し、並べる尸(かばね)を橋と作(な)す。観(おもんみ)れば夫(それ)二離(じり)(たま)を合はせ、五緯珠(ごいたま)を連(つら)ぬ。三宝(さんぽう)世に在(いま)し、百王未(いま)だ窮(きわ)まらざるに、此の世(よ)早く衰へ、其の法何(なん)ぞ廃(すた)れたるや。是(これ)(いか)なる禍(わざわい)に依り、是何なる誤りに由(よ)るや。



(通解)
しかしながら、ただ心を砕くのみであり、いよいよ飢饉と疫病がひどくなり、乞食はあふれて死人は満ちるばかりである。
その有様といえば、積み上げられた死骸は、あたかも物見台のようであり、隙間なく並べられた死骸は、まるで橋のようである。
考えてみると、二離(日・月)は平常通り照らし、五大星(木星・火星・水星・金星・土星)は平常通り天にある。
仏法僧の三宝も厳然と世におわし、また、かつて第五十一代平城天皇の時に八幡大菩薩の託宣があって、百代の王を守護すると誓ったというが、いまだ百代にもなっていない、それなのにこの世は早くも衰えてしまい、世間の法は何で廃れてしまったのか。
これはどのような禍により、またいかなる誤りによって、生じたことなのであろうか。