(立正安国論 御書二四〇頁一七行目) 仍(よ)って伝教・義真(ぎしん)・慈覚(じかく)・智証(ちしょう)等、或は万里の波涛(はとう)を渉(わた)りて渡せし所の聖教(しょうぎょう)、或は一朝の山川(さんせん)を廻(めぐ)りて崇(あが)むる所の仏像、若しくは高山の巓(いただき)に華界(けかい)を建てゝ以て安置し、若しくは深谷の底に蓮宮(れんぐう)を起(た)てゝ以て崇重す。釈迦・薬師の光を並ぶるや、威を現当に施(ほどこ)し、虚空・地蔵(じぞう)の化を成すや、益(やく)を生後(しょうご)に被(こうむ)らしむ。故に国主は郡郷を寄せて以て灯燭(とうしょく)を明らかにし、地頭は田園を充(あ)てゝ以て供養に備(そな)ふ。 (通解) よって伝教・義真・慈覚・智証等が、万里の波濤を越えて渡来せしめた教典や、全国各地を巡って崇めた仏像を、あるいは高山の頂に堂を建てて安置し、もしくは深谷の底に坊を建てて安置して、崇重してきた。 しかし、比叡山延暦寺・西塔に安置された釈迦如来、同じく東塔の根本中堂に安置された薬師如来は、共に威光を現当二世にわたって施し、また横川般若谷に安置された虚空蔵菩薩、戒心谷に祀られた地蔵菩薩も、共に化益を今生・後生にわたって及ぼした。 故に、国主は一郡・一郷を寄進して燈燭を護り、地頭は田畠をもって供養に当てたのである。 |