(立正安国論 御書二三五頁一行目) 客の曰く、天下の災・国中(こくちゅう)の難、余(よ)独り嘆くのみに非ず、衆皆(みな)悲しめり。今蘭室(らんしつ)に入りて初めて芳詞(ほうし)を承るに、神聖去り辞し、災難並び起こるとは何(いず)れの経に出でたるや。其の証拠を聞かん。 主人の曰く、其の文繁多(はんた)にして其の証弘博(ぐはく)なり。 金光明(こんこうみょう)に云はく「其(そ)の国土に於て此の経有りと雖(いえど)も未だ嘗(かつ)て流布(るふ)せしめず、捨離(しゃり)の心を生じて聴聞(ちょうもん)せんことを楽(ねが)はず、亦(また)供養し尊重(そんじゅう)し讃歎(さんだん)せず。四部(しぶ)の衆、持経(じきょう)の人(にん)を見るも、亦復(またまた)尊重し乃至(ないし)供養すること能(あた)はず。遂に我等(われら)及び余の眷属(けんぞく)、無量の諸天をして此の甚深(じんじん)の妙法を聞くことを得ず、甘露の味(あじ)はひに背き正法の流れを失ひて、威光及以(および)勢力(せいりき)有ること無からしむ。悪趣(あくしゅ)を増長(ぞうちょう)し、人天(にんでん)を損減して、生死(そうじ)の河に堕(お)ちて涅槃の路(みち)に乖(そむ)かん。 (通解) 客の言うには、天下・国中の災難については、自分一人だけが嘆いているのではなく、大衆が皆悲しんでいる。 今あなたの所に伺って、初めて立派な御意見を承ったところ、善神や聖人が国土を捨て去るため災難が相次いで起こるということであるが、それは一体いずれの教典に出ているのか、その証拠を聞かせていただきたい。 主人が答えて言うには、そのような教典はたくさんあり、その証拠は数え切れないほどある。 まず金光明経には 「その国土に正法があるにもかかわらず、国王がそれを流布させないで、むしろ捨て離れる心を起こして聴聞しようともせず、供養することも、尊重することも、讃歎することもせず、正法を持つ四部の衆や持経の人を見ても、なお尊重も供養もしない。 そしてついには我等(帝釈天や四天王)および眷属である無量の諸天に対して、この甚深の妙法を聞かせないようにしてしまい、そのために諸天は、食べ物としている甘露の味を得られず、正法の水流に浴せず、ついにその威光、勢力を失わされてしまう。 しかして、国中に地獄・餓鬼・畜生・修羅などの四悪趣が増長して、人界、天界の境界は損なわれ、煩悩の苦しみに落ち込んで、涅槃の道に背き遠ざかってしまうのである。 |