日蓮正宗 昭倫寺

立正安国論(h30.11)


(立正安国論 御書二三九頁十八行目)

又云はく「貞元入蔵録(じょうげんにゅうぞうろく)の中に、始め大般若経(だいはんにゃきょう)六百巻より法常住経(ほうじょうじゅうきょう)に終はるまで、顕密の大乗経総じて六百三十七部・二千八百八十三巻なり、皆須(すべから)く読誦大乗の一句に摂(しょう)すべし」「当に知るべし、随他(ずいた)の前には暫く定散(じょうさん)の門を開くと雖も随自(ずいじ)の後には還(かえ)って定散の門を閉(と)づ。一たび開いて以後永(なが)く閉ぢざるは唯是(これ)念仏の一門なり」と。又云はく「念仏の行者必ず三心(さんじん)を具足(ぐそく)すべきの文、観無量寿経に云はく、同経の疏(しょ)に云はく、問うて曰く、若し解行(げぎょう)の不同邪雑(じゃぞう)の人等有(あ)りて外邪異見(げじゃいけん)の難を防(ふせ)がん。或は行くこと一分二分にして群賊(ぐんぞく)等喚(よ)び廻(かえ)すとは、即ち別解(べつげ)・別行(べつぎょう)・悪見(あっけん)の人等に喩(たと)ふ。私(わたくし)に云はく、又此の中に一切の別解・別行・異学(いがく)・異見等と言ふは是(これ)聖道門を指すなり」已上。又最後結句(けっく)の文に云はく「夫(それ)(すみ)やかに生死を離れんと欲せば、二種の勝法の中に且(しばら)く聖道門を閣(さしお)きて選(えら)んで浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲せば、正・雑二行の中に且く諸の雑行を抛(なげう)ちて選んで応(まさ)に正行に帰すべし」已上。


(通解) 

また云く「貞元入蔵録の中には、大般若経六百巻より始まって、法常住経に至るまで、顕教・密教の大乗教が総じて六百三十七部・二千八百八十三巻載せられている。
これらは皆、観無量寿経に説かれる、定散二善の中の『読誦大乗』の一句に束ねるべきである。
そして、まさに知るべきである。
仏は、衆生の素養に応じた随他意の法門として、しばらく定散二善の諸行の門を開いたが、いよいよ本意とする随自意の法門を開いた後には、かえって、前に説いた定散の門を閉じてしまった。
一度開いた後、永久に閉じない随自意の門は、ただ念仏の一門のみである」と。
また云く「念仏の行者は、必ず三心を具足しなければならない、との文について。
この文は観無量寿経に説かれており、善導の著述した同経の疏には『問うていわく、もし念仏の行者と信解も修行も同じでなく、念仏を誹謗する邪雑の人があって』また『念仏以外の邪な異見による難を防ごう』また『涅槃経や大智度論にある、一歩か二歩も進まぬうちに群賊が旅人を呼び返す、という喩えは、別解・別行・悪見の人達を群賊に譬えているのである。』と説かれている。
これらの文について、私(法然)なりに考えてみるならば、一切の別解・別行・異学・異見等と述べられているのは、聖道門の人々を指しているのである」以上。
また最後の結びの文に云く、「速やかに生死の苦しみを離れようと願うならば、二種の勝れた法のなかで、聖道門をさしおいて、選んで浄土門に入れ。
浄土門に入ろうと願うならば、正行・雑行のなかで、諸々の雑行をなげうって、選んで正行に帰依すべきである」以上。