(立正安国論 御書二四七頁五行目) 而るに謗法の族(やから)、正道を忘るゝの人、剰(あまつさ)へ法然の選択(せんちゃく)に依って弥(いよいよ)愚癡(ぐち)の盲瞽(もうこ)を増す。是(ここ)を以て或は彼の遺体を忍びて木画(もくえ)の像に露(あら)はし、或は其の妄説を信じて莠言(ゆうげん)を模(かたぎ)に彫り、之を海内(かいだい)に弘め之をかく外(*1)に翫(もてあそ)ぶ。仰ぐ所は則ち其の家風、施(ほどこ)す所は則ち其の門弟なり。 (通解) しかるに、謗法の輩、正道である法華経を忘れた人が、さらに法然の選択集によっていよいよ謗法の愚迷を深めている。 この故に、あるいは謗法の遺体を偲んで木像・画像に顕したり、あるいは法然の妄説を信じて選択集の邪言を版木に彫って刷るなどして、これを国中、隅々まで弘めたのである。 それが為に、今や国中の人々が、仰ぐところは念仏の宗風であり、施すところはすなわち法然の門弟である。 |