諸法実相抄(御書六六七頁十二行目) 現在の大難を思ひつゞくるにもなみだ(涙)、未来の成仏を思ひて喜ぶにもなみだ(涙)せきあへず、鳥と虫とはな(鳴)けどもなみだ(涙)をちず、日蓮はな(泣)かねどもなみだ(涙)ひまなし。此のなみだ世間の事には非ず、但偏(ひとえ)に法華経の故なり。若ししからば甘露の涙とも云ひつべし。涅槃経には父母・兄弟・妻子・眷属にわかれて流すところのなみだは四大海の水よりもをゝ(多)しといへども、仏法のためには一滴(てき)をもこぼさずと見えたり。 (通解) 現在の大難を思い続けるにも喜びの涙があふれ、未来の成仏を思って喜ぶにも涙が止まらない。 鳥と虫とは鳴いても涙が落ちることはない。 日蓮は泣かないけれども涙がひまなく落ちる。 しかし、この涙は世間のことによるのでなく、ただひとえに法華経の故である。 もしそうであるならば甘露の涙ともいえるのであろう。 涅槃経には「父母・兄弟・妻子・眷属に別れて流すところの涙は四大海の水よりも多いけれども、仏法のためには一滴をもこぼさない」と説かれている。 |