日蓮正宗 昭倫寺

池田大作の自語相違


池田大作の自語相違

池田創価学会へと変貌した創価学会

日蓮正宗の信仰を誤った池田創価学会の現在の指導に対して、破門以前の池田大作の指導は以下のとおりです。
この自語相違を知って、正しい信仰に戻るべく、謗法団体へと変貌した創価学会から脱会し、日蓮正宗寺院に参詣すべきです。


【創価学会が主張していた文証】

『広布と人生を語る』(8ー228n)

「日蓮宗身延派にあっても、南無妙法蓮華経の題目を唱えている。御書もある。経文も、法華経の方便品、寿量品等を読経している。また、もと正宗の僧侶であった『正信会』も、御法主上人の認められた御本尊を拝しているし、読む経文も唱える題目も、われわれと同じである。外見からみればわれわれと同じようにみえるが、それらには唯授一人・法水写瓶の血脈がない。法水写瓶の血脈相承にのっとった信心でなければ、いかなる御本尊を持つも無益であり、功徳はないのである。すなわち『信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり』なのである」


『広布と人生を語る』(1ー62n)

「今日、日蓮正宗創価学会がこのように発展し、短期間に正法流布の根を深く広くはることができたのも、日蓮正宗の伝統の根が深いということにほかならない」


『広布と人生を語る』(1ー230n)

「現代においては、いかなる理由があれ、御本仏日蓮大聖人の『遣使還告』であられる血脈付法の御法主日顕上人猊下を非難することは、これらの徒と同じであるといわなければならない。批判する者は、正法正義の日蓮正宗に対する異流であり、反逆者であるからである」


『広布と人生を語る』(3ー117n)

「日蓮大聖人の仏法の教義は、あくまでも御法主上人猊下の御指南こそ根本なのである」


『広布と人生を語る』(3ー249n)

「ご存じのとおり、私どもは日蓮大聖人の仏法を奉ずる信徒である。その大聖人の仏法は、第二祖日興上人、第三祖日目上人、第四世日道上人、および御歴代上人、そして現在は第六十七世御法主であられる日顕上人猊下まで、法灯連綿と血脈相承されている。ゆえに日顕上人猊下の御指南を仰ぐべきなのである。この一貫した仏法の正しき流れを、いささかなりともたがえてはならない」


『広布と人生を語る』(3ー256n)

「日蓮正宗の根幹をなすものは血脈である。大御本尊を根本とし、代々の御法主上人が、唯授一人でこれを受け継ぎ、令法久住をされてこられた。御本尊を御認めあそばすのは、御法主上人御一人であられる。われわれは、令法久住のための信心を根幹として、広宣流布に邁進しているのである。しかし、いくら広宣流布といっても、御本尊の御認めがなければできない。われわれは、あくまでも総本山根本、御法主上人厳護の信心で進んでまいりたい」


『広布と人生を語る』(3ー294n)

「いま、日蓮正宗御宗門においても、仏法の師であられる御法主上人猊下に師敵対する僧俗が出たことは、まことに悲しむべきことである。これは恐ろしき謗法であり、真の日蓮大聖人の仏法を信解していない証左なのである。血脈付法の御法主上人を離れて、正宗の仏法はありえないのである」


『広布と人生を語る』(1ー118n)

「日蓮大聖人の御書を拝するにあたっては、あくまでも御法主日顕上人の御説法を中心として、よくよく拝していかなければならない。唱題し、布教に励み、さらに教学を学び、日蓮正宗の教義がいかにすばらしいものであるかを体得していただきたいのである」(1ー118n)


『広布と人生を語る』(6ー198n)

「仏・法・僧の『三宝』を敬い、供養申し上げることは信徒としての根本である。仏宝とは御本仏日蓮大聖人、法宝とは南無妙法蓮華経すなわち本門戒壇の大御本尊であられ、僧宝とは第二祖日興上人の御事であられる。そして南無妙法蓮華経の大法は、第三祖日目上人、御歴代の御法主上人へと受け継がれ、現在では御当代御法主日顕上人猊下に御相承なされている。本門戒壇の大御本尊を信じ、仏祖三宝尊への報恩感謝が、信心の根本なのである」


『広布と人生を語る』(2ー123n)

「第六十七世御法主日顕上人猊下に、この絶対なる血脈は、厳然と承継されているのである。だれ人がいかなる非難をいたそうが、これは侵しがたき、明確なる事実なのである」(2ー123n)


『広布と人生を語る』(3ー143n)

「日達上人御遷化の後、御当代御法主上人猊下を非難している徒がいる。私は、命を賭して猊下をお護り申し上げる決心である。彼らは、以前には、総本山が根本であると私どもを叱咤しておきながら、いまは手のひらを返して、みずからがその根本を破壊しているのである。言語道断もはなはだしい」


『広布と人生を語る』(3ー42n)

「まことに残念であるが、御法主上人猊下に背いた十一人の僧が擯斥となった。これをみて、私どもが信心のうえでもっとも心すべきことは、『未だ得ざるを為れ得たりと謂い』との慢心であり、増上慢である」


『広布と人生を語る』(3-212n)

「日蓮正宗の根本たる御法主を訴えたという、この一事だけで、もはやいっさいが崩れさったことを物語っている」


『会長講演集』(4-145n)

「御法主上人猊下に対しては、御法主上人猊下こそ経文に説かれている遣使還告のお立場、すなわち大聖人様と拝してお仕え申し上げていくことでありました。これが唯一の学会精神であります」


『巻頭言・講義集』(3-113n)

「あくまでも師匠は日蓮大聖人様即御本尊様です。それから『遣使還告』あそばされる代々の御法主上人猊下です。われわれはぜんぶその弟子です」


『広布と人生を語る』(3-98n)

「御法主上人猊下お一人が仏法の師でいらっしゃるのだ」


『広布と人生を語る』(2-37n)

「日蓮正宗の僧俗であるならば、絶対に御法主上人猊下に随順すべきである。それに反して、随順せず、いな、弓をひく行為をする僧や俗は、もはや日蓮正宗とはいえない。私どもは無数の讒言や画策をうけながらも、一貫して総本山を外護したてまつり、御法主上人猊下に随順してまいった。これが真実の信心であるからだ。それを、増上慢と権威とエゴと野望のために踏みにじっていく僧俗は、まったく信心の二字のなき徒輩であり、もはやそれは、日蓮大聖人の『広宣流布をせよ』との御遺命に反した邪信の徒と断ずるほかないのである。皆さまは絶対に、それらを恐れたり、また、騙されたり攪乱されてはならない」



『広布と人生を語る』(2-612n)

「七百星霜、法灯は連綿として謗法厳戒の御掟を貫き、一点の濁りもなく唯授一人の血脈法水は、嫡々の御歴代御法主上人によって伝持せられてまいりました」


『広布と人生を語る』(3-32n)

「日蓮正宗における根本は、唯授一人の血脈である。その血脈相承の御法主上人に随順しゆくことこそ、僧俗の正しいあり方である。この一点を誤れば、すべてが狂ってくる」



御法主上人誹謗の謗法団体へと変貌し邪信の徒と化した創価学会から一刻も早く脱会し、日蓮正宗寺院に参詣しましょう。


平成20年5月21日 広布推進会の砌 東京第二布教区発行 創価学会破折(bP7,18,19)より抜粋