創価学会友人葬の誤り 下種三宝に背き即身成仏叶わず 創価学会友人葬に成仏なし 創価学会では、 「僧侶が葬儀を執り行うことは仏教本来の在り方でない」(大白蓮華 平成14年8月号113n) と主張しています。 しかし、『浄飯王涅槃経』には、釈尊と弟子の難陀尊者が、浄飯王の送葬に立ち会ったことが説かれています。 日蓮大聖人も、信徒の願い出によって死者の回向供養をなされたことは、御書の随所に拝することができます。 その例を挙げれば、文永二年三月に南条時光殿の父君南条兵衛七郎殿が亡くなったとき、大聖人は鎌倉からはるばる駿河上野の地に下向され、故人に「行増」との戒名を与えられて、墓前で回向供養をなされました。 また、富木入道殿が亡き母君の遺骨を首にかけて、身延の大聖人のもとを訪れ、追善供養を願い出ています。 その時の様子について『忘持経事』に、 「教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し(中略)随分に仏事を為し、事故無く還り給ふ」(御書957n) と仰せられています。 また、日興上人は、信徒の曽禰殿に宛てた書状に、 「市王殿の御うは(乳母)他界御事申ばかり候はず、明日こそ人をもまいらせて御とぶらひ申し候らはめ」(歴全1-152n) と、曽禰殿の母君の逝去に際して、弔いのために門弟を遣わすことを述べられています。 このように、宗祖日蓮大聖人以来、葬儀や法事に当たって、僧侶が導師を務め、引導・回向をしていたことは明らかです。 したがって、これらの事実から日蓮正宗における僧侶を導師とする葬儀のあり方は、宗祖大聖人以来の化儀に基づくものであり、当然、仏教本来の在り方なのです。 それに対して創価学会の友人葬は、宗門から創価学会に宛てた「通告文」に、 「創価学会独自に僧侶不在の葬儀を執行するならば、それは下種三宝の意義を欠く化儀となり、決して即身成仏の本懐を遂げることはできません」(大日蓮 平成3年11月号76n) とあるように、下種三宝に背き、正法の僧侶に怨念をもって執行する儀式ですから、決して即身成仏はできないのです。 要するに、大御本尊と唯授一人の血脈に随順し、日蓮正宗の法義に則った葬儀でなければ、成仏は叶わないのです。 平成19年11月28日 広布推進会の砌 東京第二布教区発行 創価学会破折(bP1)より抜粋 |