創価学会の師弟観の誤り
師なりとも誤りある者をば捨つべし 学会員の多くは、「人生の師匠である池田先生にどこまでもついていく」と、口を揃えて言います。 一見、麗(うるわ)しき師弟相対の姿のように思えるかも知れません。 日達上人はこのような師弟観について、 「『あの人が師匠だから、あの人が死んで地獄に落ちたならば自分も地獄に落ちても良い』などと言っている人がありますが、これは大変な間違いであります。 これは実は親鸞が法然に対して言った言葉なのです(中略)法華経にはそのような考え方はありません。 法華経は、「『師匠が地獄に落ちるならば、自分は法華経をもって救ってやろう』というのが本当の教えなのであります」(日達上人全集 第2輯第5巻69頁) と徹底的に邪説を破折されております。 師弟相対の信心 仏法においては、「師弟相対」の大事が説かれています。 人生最大の目的である成仏は、正しい仏法の師に従うことによってのみ成就するのです。 ですから、いかに世間の師匠を敬っても、正法の師を忘れたならば、人生における真の幸福は得られません。 日蓮大聖人は、 「法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘れて、余(よそ)へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはひなるべし。但し師なりとも誤りある者をば捨つべし」(『曾谷殿御返事』平成新編1039頁・全集1055頁) と仰せられています。 この「根源の師」とは御本仏日蓮大聖人であり、その血脈法水を継承される時の御法主上人も「根源の師」に当たります。 したがって、「師なりとも誤りある者をば捨つべし」と仰せのように、「根源の師」である御本仏日蓮大聖人及び歴代上人に背く「師」は捨てなければならないのです。 現在、池田大作は「根源の師」を忘れた「誤りある者」です。 あなたは、一日も早く、日蓮大聖人の御当体たる戒壇の大御本尊と、日興上人以来の血脈法水を継承される御法主上人を根源の師として師弟相対の信心に励み、真の幸福を築くべきです。 平成19年5月27日 広布推進会の砌 東京第二布教区発行 創価学会破折(5)より抜粋 |