登山参詣の大事
―ひたむきな求同心をもって―
1 御本仏大聖人のもとへ
日蓮大聖人は『乙御前母御書』に
「道のとをきに心ざしのあらわるるにや」(御書689頁)
と、遠路であっても師のもとへ参詣するところに信心の深さが表れることを仰せです。
実際、大聖人が御在世の時代、鎌倉在住の日妙尼(にちみょうに)は、女性の身でありながら、幼い子を連れ、大聖人が配流されていた佐渡まで、はるばる訪ねていきました。
また、佐渡在住の阿仏房は九十という高齢にも関わらず、身延に移られた大聖人のもとへ数度にわたって参詣しています。
このように当時の信徒たちは、末法の御本仏である大聖人を渇仰恋慕(かつごうれんぼ)し、ひたむきな求道心をもって信心に励み、大きな功徳善根を積んでいたのです。
2 幸せを築くため大石寺へ登山しよう
大聖人は、その御魂魄(ごこんぱく)を本門戒壇の大御本尊として留(とど)め置かれました。ゆえに大御本尊のもとへ参詣することは、生身(しょうしん)の大聖人にお会いすることと同じなのです。
現在、大御本尊は総本山大石寺に厳護され、本宗信徒のみに内拝が許されています。
登山参詣の功徳について、大聖人は
「毎年度々の御参詣には、無始(むし)の罪障も定(さだ)めて今生一世(こんじょういっせ)に消滅すべきか。弥(いよいよ)はげむべし、はげむべし」(四条金吾殿御返事・御書一五〇頁)
と仰せです。
すなわち、大御本尊のもとへ参詣することにより、過去からの謗法罪障を消滅し、諸々の願いを成就して、幸せを築く事ができるのです。
3 信心の仲間と共に
大聖人は信徒への書状で、
「参詣遥かに中絶せり、急々に来臨(らいりん)を企(くわだ)つべし。是にて待ち入って候べし」(御書一五六九頁)
と仰せられ、大聖人のもとへ参詣するよう促されています。
私たちは強情な信心を奮い起こし、機会あるたびに大石寺に登山させていただきましょう。
また家族や友人などにも声をかけ、信心の仲間と共に登山参詣して福徳あふれる幸せな人生を送ってまいりましょう。
須弥山に近づく鳥は金色となる(本尊供養御書・御書1054頁)